被災者の方に、きっと希望の春が来ることを祈ります。


私は1995年の阪神の大震災がおきた瞬間、ものすごい揺れで、バイトをしていたビルからお客さんと一緒に飛び出したことを、今でも鮮明に覚えています。その時、大勢の人が命をなくされた事実にたいして納得することができずにいました。自分自身の身内をなくしてないから、こんな考えにいたったのか・・・仮に自分が被災者になってしまっていたら、この思いには、いたらなかったはずです。いろいろなご批判があってしかるべきと思いますが、二十一歳の私があの震災で突然多くの人が亡くなられた事実を納得させるためにいったった思いを書きます。「今、この地球上で食物連鎖の頂点には人間がいて、人はあたかも地球上の生命体の頂点に立っているかのような思いや、行動をとってしまうような時がある。でもそれは、人間の思い上がりにしかすぎず。悲しいけど人は自然に食べられてしまう・・・人は自然に恐怖し、おそれおののき、一方で自然の美しさに心に栄養をもらい、たくさんの恵みを自然からもらう、もっと人が自然を尊重し、敬意を表し、もっと自然と仲良くなろうとすればこんな悲しいことは起きないんじゃないかな・・・」この思いは今の自分のワイン畑への考えに強く影響をしています。

今日、畑仕事をしてるとき、春のいぶきを発見しました。剪定した切り口から、葡萄の樹が樹液を上げ始めていたのです。この樹液は「葡萄の涙」とよく表現されます、葡萄にとって「悲しみの涙」なのかもしれません、でも農夫にとっては新芽を待つ「希望の涙」です。こんな「希望の涙」の写真だけでは被災者の人の悲しみの涙は止まらないと思いますが、いつの日か「希望の涙」になることを心からお祈りします。